人間は感情よりも文字表現に引っ張られて生きているのでは という話

私には30年間座右の銘にしてきた言葉があります。

それは「与えられた条件でベストを尽くす」という言葉。

この言葉を聞いたのは中学の国語の授業中に先生がしてくれた四方山話の中でした。

—車の助手席に乗り込んだ時、座席がえらく前に出ていたのだけれど

「僕は与えられた条件でベストを尽くす」ことを優先してそのまま乗り続けたんだ

中学生の私は「なんてかっこいいんだ!」と感動し座右の銘にすることに決めました。

当時は、困難に立ち向かう感じ、今ある能力を十分に発揮している感じがその言葉から伝わってきてなんかイケてるから一生使ったろ、と感じたのです。

しかし最近、どうも自分はこの言葉に縛られて生きているのではないかと感じるようになってきました。

というのも、何か「条件は与えられるもの」という価値観が含まれているように感じたり、本当は自分で決めたいのに条件を与えてきやがる誰か様に人生を掌握されているような、そんな気持ち悪さを感じるようになったりしているのです。

昔はあんなにもかっこいい言葉だと思っていたのに、なぜそのように感じるようになってしまったのでしょうか。

それはこの言葉を「私の座右の銘」と決めてから今に至る途中で、何度も言葉にする中で、当時自分の感じた感動を置き去りにして、文字表現そのままを認識し過ぎてきてしまったからではないかと思うのです。

就活でも、飲み会でも、社内面談でも座右の銘といえば「与えられた条件でベストを尽くす」を使い続けてきたのだけど、だんだんと文字面だけを追う、そんな風に変わってしまっていたのかなと思うのです。

特に引っかかるのは「与えられた条件」の部分。毎回座右の銘を口にしたり、書いたりするたびに中学時代の自分を思い出すのも面倒だし、今日気づいたのだからしっくりくる表現にアップデートしてしまえばいいや。

今日からの座右の銘は「明日の自分のために、今できることを実行する」

これが私の座右の銘!

あなたは、文字面に引っ張られて大切なことを見失いつつあるようなことはありませんか。普段使っている言葉をアップデートして、自分の感情や想いを丁寧に、正確に言葉にすることで、良いことが起きるのではないかと思います。

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