ミニマリストになりたい。
正直言うとめっちゃ憧れてる。
こだわりの暮らし的なのにも、丁寧な暮らしとかいうやつにも、鼻で笑いたい気持ちと裏腹に憧れている。
家に物が多く、片付けられない諸君、ここはなぜ我々がミニマリストになれないか一緒に考えてみようじゃないか。
まずですよ、正直になってみよう。私の場合は自分に正直になるところから始めなければならない。素敵なソファにこだわりのデスクに、イケてるおしゃれなカフェ的な部屋にしたいということを認めなければならない。本音はやりたいのである。
オサレなものに囲まれてふんふんフーン!エンターキー!っターン!みたいなのを本当はやりたいんです!宣言が必要なんです。
我々は知っているのです。物を減らし、心を素直に、そして一歩づつ積み上げていけばいいのです。
まずは洗い出し、ということで先に3つ、私がミニマリストになれない理由を挙げてみよう。
1.なんかハズい。
この気持ちがわかる方、そうです、あなたは斜に構え人間です。
インテリア雑誌に出てくるような、デザイナーだか、プロダクトをどうしてるだか、経営者だとか、投資家だとか。もう「それ目指してますねん!」とは言えないイサギの悪さ。
なぜなんでしょうね。気取った感じとか、しゃらくさい感じとか、なんで感じ取ってしまうのでしょうね。正面で構えたほうが気持ちがいいのは知っているハズなのにね。認めましょう。素直に憧れていることを、、、認めましょう、、、苦しい、、、
2.こだわりのないものなんて家の中にない
このきもち、ありませんかね。
断捨離だ!不要なもの、ときめかないものは見切りをつけて捨てるんだ!とかはわかっているんですよ。
一方で、そんなことしたら殺風景な部屋になってしまうんじゃないか、我がアイデンティティはどこへ行ってしまうんだぁっ!みたいな気がしませんか。
自分と会話するとですね、「お前のアイデンティティはそのくたびれたTシャツなんかい」とか「そのずっと使ってるよくわからん柄の布団カバーがお前たる所以なんかい」と、もう一人の自分が言ってくるわけで、これがなかなかうざいというか、腹が立つよね。
ここが結構重要なんだと思うのですが、家の中にこだわっていないものなんてないんじゃないかと思うわけです。
少なくとも、買った時はそれが間に合わせだろうと、一時の楽しみだろうと、緊急用だろうと、その場のノリだろうと、「買った理由」があるわけで、そこには小さな小さな過去の自分のこだわりがあるように思えてならないのですね。
この気持ちと折り合いをつけるのはなかなか難しいよねということです。
3.物が近くにないと、アイデアが浮かんでこないような気がする
別にアイデアが求められる環境にいるわけではないのですよ。そんなの自分がよくわかっていますがね。
いやでもね、ふと気になったこの散らかっているポケットティッシュから何かアイデアが湧き出るのでは?変な柄のカーテンや絨毯から、私らしさって生まれてくるんじゃ?みたいなことを思ってしまうのです。
わかっていますよ、その間違った判断の連続がいまの自分であることぐらいね。。。
理由は出たように思います。が、もうすこしグチグチやりたいので自分との対話をもうちょっと続けようと思います。(続く)
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