シェアされていく町とわたし

こんにちは。hibiakaです。

みなさん、シェアサービスは使っていますか。

シェアリングエコノミーと言って今では多くのシェアビジネスが展開され、あらゆるものがシェアされています。

例えば、自転車や車などの乗り物、バッグや服などの身につけるもの、家や、電化製品もシェアされていますよね。

私も自転車のシェアサービスを利用しています。

マンションに駐輪場代を払うより安く済むし、各地にある駐輪スポットに乗り捨てが可能なのでかなり便利です。

しかしこのシェアサービスの拡大、私にとっては由々しき問題があります。

それは「こだわりを捨てざるを得ない」ということです。

初めは「こだわりを持っているものはシェアサービスなど利用せずに買えばいい」と思っていたのですが、シェアサービスがあるならば安く済ませたいという気持ちがどうしても勝ってしまうのです。狭い家が、物で溢れていくのも何となく嫌ですしね。

なんだかんだと購買意欲は削られ、何かの手段としてシェアサービスを頼り、そうしていくうちにモノにこだわりが持てなくなっている自分が出来上がるのでした。

確かに、今まで所有してきた物の中には不要なものもたくさんありました。

ですが、そのたくさんの不要なものの中から私のこだわりが発掘されていたはずなのです。

ところで、家庭を持つと独身時代のように「家の中のこだわりスペース」が維持できなくなります。

家のテイストと異なるものは買えないか、捨てるか、しまうかのどれかになるのです。

せめてもの抵抗で妻の気を逸らし、子供がいたずらしない位置にそっと何かを置いてみるものの次の日にはどかされ、しまわれ、こどもにかじられてしまいます。

いや、いいのです。東京の狭い家で、ものを好きに置かせてくれなどとそんな贅沢は言えません。

ですか、「こんなの置いたら邪魔だよなぁ」というためらいが、自分を見失わせているような気がするのです、

最近は空間だけでなく時間も家族とシェアされつつあります。たまたま部署異動で通勤時間が1時間から15分に短縮されたため、考え事をする時間もなくなりつつあるのでした。

こうして私の心と空間と時間は家族とシェアされていくのです。

それは幸せであり、すこし物悲しくもあります。

せめてブログの中では、自分のこだわりを堅持したいものです。

あなたは「シェアされていない自分」を維持できていますか。

ではまた。

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